戦後史と国防について

 

ユトランド半島の海岸部には戦後70年以上たった今でも、北大西洋要塞(デンマーク語で名称Atlanterhavsvolden)と呼ばれているナチスドイツ軍の要塞の残骸がたくさん残っています。なぜ残しているのか、戦争史の一つの文化遺産として残しているのか、それとも悲惨な戦争の事実を、現世代そして次世代が忘れられないようにとして残しているのか、あるいは解体処分するには膨大な費用がかかるため未処分となっているのか解りませんが、解っていることは、要塞の建設に多くの労働力とお金をかけたことです。北大西洋要塞の建設の背景にナチスドイツ軍がロシアとの戦争で軍隊の多くを東部戦線に送りこんだため、占領国のフランス、デンマークそしてノルウエーのなど防備が手薄になり、イギリス・アメリカなど連合軍の大西洋側からの攻撃を迎え撃つため南フランスから北ノルウエーまでの海岸線6000㎞に建設したと語られています。

建設した要塞の数はデンマーク領域内だけでも、8000個と言われ、要塞建設工事はデンマークがドイツに占領された後*間もなくに始まったと語られています。

 

*ドイツ軍がデンマークに侵攻したのが194049日午前4時、それから2時間半後の630分デンマークの政府は国王の名のもとにおいてドイツ軍の占領を受け入れたました。

 

ナチスドイツがデンマーク政府に課した任務の一つが、連合軍の上陸を想定した防衛策として、北海(大西洋に接する海域)に面した海岸線にトーチカや要塞の建築でした。1942頃までの要塞の建設はレンガや材木を使っての地下壕の程度の物でしたが、1942年以降に建造されたの物は外壁の厚さは3メートルもある頑丈なトーチカや要塞で終戦になる1945年まで建設されていました。これらトーチカや要塞の建設はナチスドイツからの要請で、デンマークの労働力が動員され1943年頃から1944年の最も建設工事が多かった時期において5万人から7万人が雇用された、と語られています。この当時の同地方の一般労働者の労賃は週80クローネに対し、トーチカと要塞工事に携わった人たちに支払われた労賃は週100クローネから200クローネと言われて、高い労賃だけではなく、要塞建設工事に必要な土木建設用役及び材料を供給する業界団体、労働者の宿泊施設を運営する業界など「占領下における好景気」をうみました。これらの建設費用は最終的にデンマーク政府が持つことになり、その額は50億クローネになった、と言われています。(ドイツに言わせると、トーチカや要塞の建設はデンマークの国防のためが理由だったようです。)この要塞建設費50億クローネをこの当時のデンマークの国民総生産*と比較してみますと、膨大な額になっていることが解ります。

 

*デンマークの国民総生産額は1937年約80億クローネで1947年のそれは約173億クローネになっています。1938年~1946年間におけるデンマークの国民総生産額については戦争に巻き込まれたこともあってか、データが見つかりませんでした。

 

北大西洋要塞建築でデンマークが得たものは何か、ドイツの占領下にありながらも、建設工事に携わった人たちはドイツ軍の強制下の中で建設したものでなく、デンマークの税金でしかも自己の意思で高額な労賃を得ながら労務に就いた人たちです。そのことからデンマーク人は占領下に在りながらもトーチカや要塞の建設を通し、国家の破壊から免れ、また国家経済の活性化に大きな貢献をしたともいえます。デンマークとは対照的に、にフランスやノルウエーの要塞建設はドイツ軍に囚われた捕虜によって建設されたと報じられています。(この原稿は2019225日付けデンマークの新聞Kristeligt Dagblads. 7 Historieを基に記述しました。)

 

 

 

デンマークにおける国防とは

 

現デンマークの憲法(195365日施行)には、日本の憲法では禁止または触れていない条項として第4条、第6条そして第81条があります。

 

4条「国教教会」への規定:福音ルーテル教会をもってデンマークの国教会とする。国家は国教教会ととしてそれを維持しなければならない。(日本国憲法第202項、国の宗教活動の禁止)

 

6条「国王の宗派」国王は福音ルーテル教会の会員でなければならない。

 

81条「国家の防衛に貢献する義務」武器を携行できるすべての男子は、制定法の定めるところにより、自ら国家の防衛に貢献する義務を負う。(日本国憲法第9条、戦争の放棄、戦力の不保持、交戦権の否認)

 

デンマークの憲法第4条での規定「国教教会」福音ルーテル教で重視している教えとは、「信じること」、「希望を持つこと」そして「愛すること」の3つです。この3つの中で最も重視しているのは「愛すること」です。ここでいう愛とは男女愛だけではなく、家族愛、国家愛も含まれています。医療費、教育費、社会福祉など国民生活に必要な財源が皆で出し合う制度を作り上げたのも国民の愛から出た政策だと思います。生活保護を受ける人でも病院での治療が受けられる制度、生活保護を受けている親の子どもでも大学教育が受けられ制度など、これらの制度を通して国民が安心して生活できる国をつくっているのです。

 

デンマークの育児では、親の多くは就労しているため、保育ママ、託児所、幼稚園に預けられ、仲間との遊びから共生生活から始まります。つまり、幼児から共に生きる環境の中で育っています。その育児過程から学校教育に進むわけですが、デンマークの学校教育においては、人が持って生まれた才能や能力を活かせるような制度を採り入れ、それを基に職業に就き、生活が営める方策を採り入れています。そんなことから、学校教育は個人の才能・能力を見出し、育成するための場所となり、その課程において問題や課題は仲間と解くことを経験します。この仲間で問題に取り組む経験と体験の中から人は同じではないことを習得する。その結果、デンマーク人の多くは個人主義*を守り合い、利己主義**は受け入れない社会の構築に努めています。

 

* 社会や集団の中での個人の意義を認める行為 (広辞苑からの抜粋)

 

**自己の利害だけを行為の規準とし社会一般の利害を念頭に置かない考え方(広辞苑からの抜粋)

 

「いじめ」問題の根底に、人として持つべき、道義心や公正心が育成されていない心が所在しているためと思います。どんな犯罪者の子どもでも生まれた時点では犯罪者ではありません。そんなことから「いじめ」をする人たちを作ったのは、その家庭であり、社会であると言えます。私は、親や社会の愛情と個人主義が守られた社会で育った人たちは、「虐め」に走ることは無いと思っています。そんなことから「いじめ」をした人も不幸な生い立ちや生活環境に生きているということが言えると思います。

 

戦争史の多くは権力欲、金銭欲など利己主義に走った人たちによって勃発し、それによって、国家の破壊を生んでいます。したがって、国防には個人主義を育成する社会の構築が必要だと思うのです。(了)

 

             201937日 デンマーク・ウアンホイにて